犬と猫と歩く日々。

Todd Rundgren、唐沢寿明が好き

Billie Jeanの「ヒー」とか

皆さまは、主に音楽を聴く時、どこで聴いていらっしゃいますか?
私は車の中です。家には、オーディオがなく、パソコンで聴く方法しかありません。
ならば車の中で音量をあげて、聴くのが一番楽しいです。

そういうわけで、今、車の中ではずーっとマイケルがかかっています。高Ą長男、中2長女と車で移動するときは、曲をききながらマイケルの話題になる事もあります。

先日、なにげなく「Bille Jean」の「ヒー」とかの話題(わかりますかね(^-^;;) マイケルが曲の間にいれる、”フー”とか ”っだ”とかの”ヒー”です)になりました。

息子「あれ、歌詞カードではどうなってんだろ、ヒーとか。どう書くのかな」

私「書いてないでしょう。かけ声みたいな感じだから」

息子「あれ書くべきだよ。必要なものだから。」

私「あれは(西寺さんの受け売り)マイケルがここで、ドラムがだんっ とか、ギターがジャーン とかそういうのが欲しいなぁというのの代わりに自分で入れてるらしいよ…」
息子「へー」

私「でもねー。たしかにBillie Jeanでヒーの所に、ギターがチャーンって入ったら丁度いいと思うけど、どうしてアレンジでギターをいれずに”ヒー”って自分で言っちゃうんだろう」

ここで聞いていた娘が一言
「自分で言った方が、正確で綺麗だからじゃない?」

そうかぁ、なるほどなるほどと納得したりして。
あの「ヒー」とか「ポゥ」とかを楽器に変えてしまうと、やはり著しく平坦な曲になるなぁ。楽器以上に自由に出せる声があるからこそ、自分でやった方がいいなぁ、マイケル素敵とおもう私でした。
Billie Jean、完璧な曲ですよね。

そういう声を持ち合わせていない、ミュージシャンの方は楽器や電子音で、行間(?)を埋めるようになります。
そうなると、マイケルの歌とそうでない歌は、れっきとした差が生まれてきます。普通の人の延長線上の優れた人、という差ではなく違うスタートラインにいる人との差だなぁと思います。

本当、たぐいまれな方なんですね、マイケル。

話は変わったりして(^-^;)
むかーし、新聞で世界のどこかの地方(アフリカ?or インド?)での死生観について読んだ事があります。
すごく心に残ってるんですが「人の死は、人が死んだ時ではない。死んでも周囲の人々の心には生きている。人々から忘れられた時を、その人の死とする」という事になっているんだそうです。
なので、人が無くなった時も、悲しまないそうです。

その考え方を、都合のよい所だけとっていくみたいですが、やはりマイケルは生きているなぁと思う時がある。
それは、天国でライアンくんと会ってるかなぁ、とかそんなんだったり。また、もう20年以上前に発表されたBIllie Jeanをきいていて新しい発見をした気持ちになったり。
えんえんと、車でinvincibleをきいていても、聞き足りなかったり。これはどう考えてもマイケルは生きている。
もちろん、人々の心の中という事になるけれど、どこかの地方の考え方でも、しっかりマイケルは生きている。
しかも、マイケルをまったく知らなかった、新しい世代の心にも新しいものを生み出している。
新しい生が生まれている、という気持ちになりました。